アザラシと人間の問題
HPの読者で「カナダのアザラシ漁に反対をされている方」からメールが来て、「アザラシ・ウォッチングで人間が赤ちゃんに触れていくことの生態への影響」を心配される内容でした。大事な問題だと思いますので、返答をこちらにもアップしておきます。
最初に誤解されないようにお願いしたいのが、私は「カナダのアザラシ漁への反対運動」を否定している訳ではありません。反対の団体もあれば、私のように消極的な肯定もいれば、漁をしたいという漁師もいるわけです。そのような意見を色々尊重しあいながら、科学的な見地を加え、「共生への道」を模索していくことが求められていると思っており、その内容は時代や状況によって、常に変化しつつあるものであると思います。環境問題は試行錯誤しながらよりよい方向を模索していくことが大事であって、一つの考え方が「特効薬」になるようなものではないと思っています。
ポイントを絞って答えていきます
1)現在のカナダのアザラシ漁に対して
私は反対の立場を取っておりません。捕獲制限数の決定に関しては、「ちょっと多すぎではないか、急に増やし過ぎではないか」とは個人的に思っていますが、科学的な個体数の調査を行い、生態系への考慮も十分に行われての決定と考えています。生態系への考慮を行いアザラシの数が、他の構成生物に比べ、異様に増え続けていることへ、なんらかの対応をとらないと行けないという考えが根底にあると思います。現在は餌の魚に比べてアザラシの生息数の増加が顕著であると認識しております。自分が毎年アザラシの群れをみても個体数は増え続けているという印象をもっています。この点で数が漁によって激減していた80年代の漁と異なります。
2)アザラシ・ウォッチングが与える影響について
もちろんウォッチングが与える影響はあります。しかし、一部で言われているような、人間が触れただけで、アザラシの母親が子どもを見失うというようなことは、私が知る限りありません。母親の嗅覚力や子への思いは非常に強いものがあります。
ウォッチングで頻繁に人間が訪れる影響ですが、私もその点が心配で、人間たちに赤ちゃんが囲まれて、しばらく母親が消えていた個体を、流氷に泊まったときなどに、しばらく離れて遠くから観察していたことがあるのですが、ヘリコプターが帰った後の、夕方にはきちんと戻って来ている例を何度も確認しています。
これは流氷で実際に見る赤ちゃんの死体の数が、全体数に比べて非常に少ないことからもいえると思います。流氷上では死体はそのまま残りますので、すぐに見つけることができます。
といってウォッチングが生態に影響を与えないわけではありません。影響を最小限にするための努力を、それぞれの主催者が模索していく必要はあると思います。かつてはツアーの効率優先のために、同じ場所に連続して何度も往復するといった時期があったのですが、現在は日によって着陸場所を変えて降りるなどの対応が取られています。
現在カナダのアザラシ保護条例でアザラシの赤ちゃんには、「触ってもいいが、抱き上げて移動させてはいけない」と定められております。
3)アザラシ・ウォッチングが発生した経緯
マドレーヌ島のアザラシ・ウォッチングは、当初は動物保護団体IFAWのプロモーションの一環として始まりました。IFAWが女優や著名人、ジャーナリストなどをヘリコプターに乗せて、アザラシの赤ちゃんのいる流氷の元へ連れて行き、赤ちゃんを抱いて反対運動のための写真を撮りました。そのようなツアーがIFAWの「漁から観光へ」との収入転換の提案で、一般観光客へと広がりました。
ところがウォッチングであがった収益は島の住民にまわらずに、ほとんどが保護団体に行ってしまう構図に疑問を持った地元の人が、このようなツアーは自分たちで行わないといけないと考え、作りだしたのがChateau Madelinot のアザラシ・ウォッチングです。私はエコツーリズムは地元の人主導でとの考えを前から持っていたため、この動きを応援し、日本への紹介を行いました。
現在アザラシ・ウォッチングはIFAWの流れをくむ旅行会社のNatural HabitatとCheatau Madelinot という地元のホテルが始めたものの2つがあります。このChateau Madelinot のツアーは「アザラシ漁師をガイドに雇用しているからボイコットすべき」とIFAWが抗議したことがあります。私はこの考えは「漁から観光へ」との原点を鑑みればおかしいと思っています。むしろよりアザラシ漁師を雇用すべきと思っています。
「漁から観光へ」という経緯があるために発生した、アザラシ・ウォッチングを応援することにより、多くの人がアザラシと人間の共生や漁の問題を考えるようになる。アザラシの生態にも興味を持つようになる、漁から観光への転換が進む。これらのことを含めれば、アザラシ・ウォッチングを生態への影響のために否定する必要はないと私は考えます。ウォッチングによって明らかに生息数に影響が現れ始めていたりした場合は別ですが、現在は個体数は増えています。
4)問われるべきは人間と自然との共生
これはアザラシの赤ちゃんだけに限らないのですが、現在人間と自然との問題で問われるべきは、「共生のありかた」であって「一方的な自然保護」では解決が難しいです。これは突き詰めていけば、「人間がすでに生態系からはみだした存在になっている」という理由からです。本来生態系の構成者であった人間は、生態系を壊すことができる存在にもなってしまい、もはや構成者でなく生態系から飛び出てしまったという考え方です。私はこの考え方を生態学者から教わり、これを支持しています。
そしてそのような状態では自然保護のみを突き詰めると、人間の自然への関与の一切の否定へとなっていきます。そして自らの存在を否定しなくてはならなくなります。人間は自然の生態系を利用しないと生きていけない寄生的な存在だからです。
「共生」を考えることにより、人間が自然や資源の永続的な利用を考える道が開けます。この「持続的な自然資源の利用」という考えが現在の環境問題のキーワードではないかと思います。
共生がテーマである以上、たとえば今年のポール・マッカートニーさんには、アザラシのみならず、マドレーヌ島の人々との接点も持ってほしかったと、私は考えます。
5)アザラシ漁師だってアザラシの赤ちゃんを可愛いと思っている
このことを知っていただきたいと思います。
私は報道カメラマンの時代に日本のイルカ漁を外国の雑誌の依頼で取材したことがあるのですが、そのときに漁師が「俺たちだってイルカは可愛いんだ」と語った言葉が、ずっと耳に残っていました。同じ言葉をマドレーヌ島のアザラシ漁師からも聞きました。80年代の世界的なアザラシ漁反対の運動のなかで、マドレーヌ島の人々は「世界中でもっとも残酷な人々」とまで呼ばれました。アザラシ・ウォッチングの初期の頃に、アザラシ漁師のガイドに「俺たちだってアザラシの赤ちゃんは可愛い」と言われたことが忘れられません。
あんな可愛い動物を殺すなんてという考えは、彼らに「可愛い」と思う感情があることを否定してしまいます。彼らがアザラシを殺すのには、「可愛い」と思わないからではない、別の理由が存在します。
子どもの頃からアザラシと身近に触れて、可愛いと思ってきた地元の漁師の子が、アザラシ漁に連れて行かれ、大人になる試練のごとく最初のこん棒を振るった思いを、聞いたことがあります。
むしろ私は氷の上で、実に無邪気にアザラシの赤ちゃんやアザラシの親たちと、触れ合う彼らの姿を見て、自分や観光客よりも、もっともアザラシたちと自然に触れ合って親しんで来たのは、彼らだなと思います。アザラシが地球から姿を消しそうになった時に、一番悲しがるのも彼らだと思っています。
6)一番心配すべきは地球温暖化
私がアザラシの流氷を訪れだしてから17年が経ちますが、この17年を通して感じるのは地球温暖化によるアザラシの生態系への影響です。私は人間が与えるアザラシへの影響という点では、現在の漁よりも、地球温暖化の方がより深刻で今後の影響が多大ではないかと考えています。
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