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2008年9月 6日 (土)

紙漉きから環境を考える

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 紙漉き練習は続いています。今回のはちょっと周辺の紙材料の分布具合が今イチかな。あと使用した材料が漂白されています。この用途では生成りに近い方が好きかな。
 紙漉きを初めてよかったのが、紙のことを知り、紙の材料を考えるということは、人間と自然との共生を考えることになります。どんなものが紙になるか、なぜそれを利用するのか。極論すればどんな植物でも紙になり、庭の雑草や野菜くずからも紙は作れるようです。
 ケナフの問題は興味深いですね。「ケナフ」で検索すると色々賛否両論が出てきます。木材の紙利用を減らそうと栽培が始まったケナフが一度はブームのように期待され、地球温暖化を救う救世主のようにさえ扱われた。次には外来植物のケナフが帰化する可能性からアンチケナフの方々が現れ、その議論がにぎやかになり、反論の攻撃性もあって、うかつにケナフのことを口に出せないような雰囲気になり、そうこうしているうちに、一般にはその存在が忘れられそうになっている。私感では現状はこんな感じかな。
 私個人の意見だが、紙材料としてのケナフには非常に期待できるものがあるし、ケナフ紙は非常に質が良く、むしろ使ってみたい紙でもある。きちんと耕作者が管理する意識を持っていればセイタカアワダチソウのようなことになる可能性は少ないと思うし。耕作物の帰化を心配しての反対を言い出して、否定し尽くしたら、カリフォルニア米とか多くの野菜とかどうなるのだろう。ただし帰化への配慮は大事であり、どこにでも植えればいいというものではない。
 理想論だけでは世界は変わらない。それはケナフ派にもアンチケナフ派にもいえ、コストや供給量の問題も無視できない。相対的に輸入木材からのパルプ生産とどちらがトータルな視線でいいかという観点から考えるしかないと思う。

 ケナフに限らず、何かを「環境問題の救世主」的な扱いをするのが問題だと思う。
 「環境問題に特効薬はない」というのが世界的な植樹活動で有名な宮脇昭さんの言葉だが、まさにその通りだと思う。私は環境対策として植えるのなら潜在植生の木々に勝るものはないと思うが、耕作物としてのケナフは、その需要さえきちんとあれば非常に価値ある耕作物であろう。ところがコスト面からこの需要が難しいのが現状のようだ。
 紙のことを考えると色々自然と人間の繋がりが見えて来て、それは非常にいい環境教育の材料になると思うのだが、本来それを学んで欲しい息子の夏休みの自由研究は終わり、私の尽きない自由研究になってしまっている。環境教育としては、ケナフがちやほやされていた時より、アンチケナフ後の今の方が、それこそ外来種の問題も含め、よほど興味深い題材だと思います。

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