映画 The Cove を見てきました
中学1年生の息子と映画「The Cove」を見てきました。
和歌山県の太地町のイルカ漁ですが、私は22年前(平成元年)報道写真家時代にこのイルカ漁を撮影しています。
当時は血に染まった海を撮る写真家の私に、「これを撮るのならば、俺の家で一緒にイルカを食べて、俺たちの話を聞いてくれ」という問いかけが漁師からありました。
そのきちんとした対応に、私も血の海の写真だけを掲載してはいけない、漁師の意見も載せなくては、そのためには写真のみならず文章の取材もしなくてはと、再度来訪し追加取材をしたものです。
当時契約特派写真家であったASIAWEEKという香港の英字雑誌で8Pのフォトストーリーになりました。英語圏でイルカ漁が紹介された記事としては、もっとも漁師側の考えにページをさいた記事だったと思っています。漁師がイルカを神社で供養する写真や、イルカ料理の食卓を囲むイルカ漁師の家族の団らんなども載っています。
家族の団らんで「俺だってイルカは可愛い、でもこの娘の方が可愛い。生活のためにイルカを捕って何がいけないんだ」というコメントは心に残りました。そして、その後カナダのアザラシ漁師からもまったく同じ言葉を聞くことになります。
さて、22年たって。
この問題にそれなりの予備知識と、同様なカナダのアザラシ漁の問題もよく知っている者としての、この映画の感想ですが、批判を恐れずに語ります。
非常によくできた映画だと思います。アカデミー賞は理解できます。
日本でのこの映画に対する報道や批判では、「一方的だ」「伝統文化の軽視」「非合法の撮影だ」などが上がりますが、それはこの映画の批判としては本質をついていないと思いました。
この映画は「イルカ漁の是否」や「伝統食文化」を議論するための情報を伝えるドキュメント映画ではそもそもありません。議論の余地すら無い取材として、ドキュメント手法を批判している評論家もいましたが、私はその批判はあたっていないと思います。ドキュメントしている対象が違うからです。ドキュメンタリーが「伝えたいもの」と、「伝えて欲しいもの」とを混同しては、正しい批評になりません。
この映画が伝えたいのは、わんぱくフリッパーの調教士であった活動家の「あの入り江で起こっている出来事を、なぜ世界はきちんと議論しない」という問題提起に他ならないからです。この問題提起を伝えることが、このドキュメンタリーの目的である以上、取材の合法性や、一方的かどうかなどは、本質ではなく、映画の善し悪しはその伝えたい「問題提起」がどう表現されたか、で評価されるべきです。その点で、この映画の表現は優れていると私は思うわけです。
つまり、食文化や伝統文化や捕鯨の是否の問題は、この問題提起の次に来る問題であって、それ以前の情報の共有の問題がテーマなのだと思いました。
22年前は秘匿されていなかったがゆえに、きちんと議論や考えることができたイルカ漁は、22年経って、秘匿された入り江の奥で行われるようになっていました。そして、最新のハイテクを駆使しての隠し撮りで、暴かれるような状況になって国際的な映画になったわけです。
なぜこの22年間日本人はこの問題を、もっときちんと堂々と議論しなかったのだろう。日本のメディアは、この間に何をしていたのだろうとさえ思います。
中1の息子は「何が起こっているのかを知ることができたのは良かった」と語っていました。ここからの好奇心が、食文化や伝統の問題、しいては人間と自然との共生を考えることになるのだと思います。無関心や秘匿は、文化を尊重することには繋がりません。
戦争にしろ、環境問題にしろ、
きちんと知り、考えること。
それから文化の問題を堂々と語れる日本人になって欲しいです。
そして上映をしてくださった映画館名古屋シネマテークに感謝したいと思います。
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