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2013年12月26日 (木)

LIFE誌との思い出

 私が経歴に書くLIFE誌の掲載の話が「本当ですか?」というコメントが来ていたので、この記事を書くことにしました。「はい、本当です」

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A_dsf8960_2  最初に掲載されたのは「LIFE The Year 89 In Pictures」という年末総集号です。天安門事件の特集があり、その中で掲載されました。
 右の「手をつなぐ学生達」の写真が私の撮影のものです。ちなみに左側の写真を撮ったBlack Star通信社のDavid Turnlyがこの年のピューリツア賞です。この写真を含めての1年の写真活動を評価ということでの受賞でした。
 私は当時フリーランスの報道写真家でした。北京には事件の一ヶ月前から入っていました。フリーランスの報道写真家は事件が起こってから行くようではダメなのです。この写真は最初に送ったフィルムの閲覧・使用権があった(取材費を出していた)日本の写真週刊誌が見落としていたため、米国人の小さな通信社を持っていた写真家に相談したところ、LIFEに売り込んでくれて、すぐに「Exclusive」(独占)になったカットです。なので当時はLIFEにしか掲載されていません。
A_dsf8963_3 そしてこの写真が次に「The Best of LIFE  Favorite Photographs 1978-1991」 に再度選ばれて掲載されました。「The Best of LIFE」というのはLIFE誌が10数年に1度ぐらいの割合で出す、コレクターズエディションの総集号です。「Favorite Photographs」というサブタイトルが付いているように、LIFEの編集部が過去に掲載した数多くの写真の中から「好きな写真」というテーマでセレクトされています
 日本人の報道写真家で過去にBest of LIFEに選ばれた写真家といえば岡村昭彦さんとか沢田教一さんがベトナム戦争時代に載ったぐらいしか、私には記憶がありません。LIFEの総集合に選ばれたというのは、報道写真家にとってはとても名誉なことでした。
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 私はこの写真の評価で、米国の写真通信社Black Starの契約カメラマンになります。最初に掲載された時に隣の写真を撮ったカメラマンが所属していた写真通信社です。普通はアポすら取ることが難しい写真デスクが「あのDavid Turnlyの写真の隣のカットを撮ったカメラマンか、誰だか探していた」言われ、すぐに社長面談になり、その場で契約でした。BlackStarは過去にはユージン・スミスさんも所属していたアメリカを代表する権威のある写真通信社でした。当時のLIFEやTIME, NEWSWEEKの表紙はBlack Star のカメラマンの活躍の場で、当時の雑誌メディアではマグナム以上に活躍していた写真通信社です。その米国写真通信社の特派員として取材できましたので、その後のソマリアとか湾岸戦争などでは、日本メディアのカメラマン以上に深い取材ができたと思っています。
 ただこの天安門の写真は私にとっては、もっとも評価された写真でしたが、もっとも伝えたいものが伝えられなかった写真でもあるのです。そのことは以前にブログ記事に書いています。
 掲載の前にLIFE誌の編集者と国際電話で話したことが忘れられません。私は自分が見て来た事実が社会に伝わっていないことを話しました。そして、編集者は「私たちはTIME/LIFEという会社の組織である以上、天安門事件に関して貴方の見てきたことよりも、その場にいなかった北京支局長の取材を優先しないといけない。なので私たちが書く記事に貴方は不満があるかもしれない。しかし、この写真は私たちがどうしても掲載したい写真なのだ」このような言葉をいただきました。この言葉で私は掲載を承諾しました。すでにニュース使用ではなかったので記事はあまり深く事実関係に触れていませんでした。最高の名誉でもありましたが、無念さ、残念さも残っていました。
 このような経験が私にはあり、私は「伝える」ということをとても重要と考えています。若くして雑誌メディアの最高の雑誌に掲載されましたが、載ってしまえばただの印刷物です。何が伝わったかどうかの方がよほど大切なわけです。どんなに高額の原稿料をもらい(私の中で過去最高です)、どんなに名誉があっても、「伝えたいことが伝わっていない」のならば悔しさの方が多いわけなのです。
 このこともきっかけとなって、私は報道写真から離れて行きます。そしてアザラシの赤ちゃんとの出会いがありました。
 アザラシの赤ちゃんの写真は、私が伝えたいものが伝わりました。(このあたりのことを現在著書に執筆中です)なので私は「伝わる」ことが嬉しくて、動物写真家に転身していきました。
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 LIFE誌にはその後1998年にもう一度掲載されています。この頃LIFE誌は経営悪化で不定期発行になっていました。この時はアザラシの赤ちゃんの写真でした。ちょうど私の写真集の英語版が米国で発売された時であり、LIFEが過去の実績も考慮してくれて、私の写真を同じタイミングで掲載してくれたわけです。
 LIFE誌の長い歴史の中で、紛争地の写真と動物の赤ちゃんの写真で掲載された写真家というのも珍しいと思います
 その後私は雑誌メディアを活躍の舞台に選ばなくなります。雑誌では自分の伝えたいことが伝わらない、どんなに有名な雑誌でも載ってしまえば、それだけのことです。それよりも大事な「自分の伝えたいことを伝える」こと、その為に私は、自分の写真集、自分の著書をメインの発表の場と変えて行きます
 私はほんと幸運なのですが最初の写真集「アザラシの赤ちゃん」(ネスコ/文藝春秋)が10万部近いベストセラーになったために、写真集を作ってもらえる写真家として、今まで過ごしてくることができました。先ほどiBooksのランキングで「総合4位」になってのもこの本の文庫版です
 一冊のベストセラーがあったおかげで、小原玲著作のように多くの本をだしてくることができました。写真家としてはとても幸運な写真家人生を送れてきたと思います。その中でずっと貫いているのが「自分が一番伝えたいもの」「自分の一番好きなもの」を撮ってくるということです。
 それが今の私の写真感に繫がっています。私が撮りたいものが一番美しく写るのが富士フイルムのXシリーズの訳であり、それは天安門事件や湾岸戦争、ソマリアなどでの体験やアザラシの赤ちゃんとの出会いなどと深く繫がっています。

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コメント

この秋に有楽町のビックカメラでなさっていた講演を思い出します。
戦争・報道から動物・オーロラへの転換。撮ったものを通じて伝えたい、ということを追い求めて発表の媒体も変わっていった、というところにすごいなあ、と思います。できれば小原プロの原点、高校生でグランプリを獲られた写真も掲載して欲しかったです。高校生らしさが満開で楽しくなります。

唐突ですがAsia Weekでは戦争(というか紛争)の写真が多かったのでしょうか。結構好きな雑誌だった(購読してました)ので廃刊は本当残念でした。

投稿: ごん | 2013年12月27日 (金) 00時21分

ごん さん
 ASIAWEEkをご存知なのですね。あの雑誌の東京カメラマンをやっていました。あの雑誌はすべての雑誌の中で、一番ページ数が多いフォトストーリーを掲載するEYEWITNESSというページを持っていて、そのページに写真を載せたくて、同誌の契約カメラマンになりました。
 私が掲載したEYEWITNESSは「広島県大久野島の毒ガス工場従事者の病気」「中国武術」「日本の右翼」「大喪の礼」「日本のイルカ漁」などです。

投稿: 小原玲 | 2013年12月27日 (金) 00時31分

こんにちは!写真は事実を切り取りますが、本人からはなれたメディアが介在することで、それが真実ではなくなることもある。過去の長い歴史の中で常に報道写真家が苦悩させられる現実なのですね。ですが、手をつなぐ学生越しに撮影された戦車の写真が、掲載当時に真実を伝えられなかったとしても、今こうして学生達の願いが真実として伝達されているのですから、十分歴史に残した写真であると確信しています。

投稿: もやし | 2013年12月27日 (金) 13時45分

もやしさん
 はい、そうなのですが、あの時に私は学生達が何を求めていたかを伝えることができませんでした。もし世界があの時の学生たちの訴えを聞いていたら、今の中国はもっと違った国になったかも知れません。
 あの時の学生達が未来に絶望して、方向転換し今の経済発展を支えたのでしょうから。

投稿: 小原玲 | 2013年12月27日 (金) 14時56分

愚問かもしれませんが、天安門事件や湾岸戦争の時代にXシリーズがあれば、そのカメラを使っていたと思われるのでしょうか?
小原さんが報道カメラマンとして活躍していた時代に、今のカメラがあれば、どのようなカメラとレンズをチョイスしますか?
今のデジタル一眼やミラーレスを押しのけても、やはりライカRでしょうか?

投稿: かーる | 2013年12月27日 (金) 15時11分

カールさん
 今日ちょうどその記事を書きました。あの時にXシリーズがあったらもっと強い写真が撮れたかもしれません。
 

投稿: 小原玲 | 2013年12月27日 (金) 15時35分

小原さん、ご返答ありがとうございます。その当時の時点でどう伝わったのか、どう伝えることができたのかが報道カメラマンとしての小原さんの重要な部分なのであって、歴史に残る事が重要なのではないのですから。無念の意味に少しかもしれませんが、近づけたように思います。

投稿: もやし | 2013年12月27日 (金) 15時56分

もやし さん
 どうもありがとうございます。ああいう歴史の瞬間に立ち会えたことはほんと光栄です。そして一枚の写真を残せたことも。
 

投稿: 小原玲 | 2013年12月27日 (金) 16時11分

経歴は知っていたのですが、雑誌を見たのは初めてです
やっぱりすごいな。誌面から圧倒されます

でも、この当時の小原さんの写真に出会っていたら
今のように交流を、持とうとはおもわなかったかも知れません

やっぱり今の小原さんの優しさ溢れるアザラシの写真が好きです

投稿: 哲☆平 | 2013年12月27日 (金) 23時11分

哲☆平さん
 はい。あの頃は泣く子も黙るような報道カメラマンでした。その後アザラシに出会って、心も体も丸くなって、子どもが小さかった少し前までは、公園で泣く子をあやしていました。

投稿: 小原玲 | 2013年12月27日 (金) 23時46分

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