
私は写真が下手です。
いや正確には「下手な写真が撮りたい」。逆にいえば「お上手な写真が撮りたくない」ということでもあります。
この20年ぐらいのカメラの進歩は凄まじく、もうピントも露出も、瞬間を止めることも、カメラ任せでプロ並の写真が撮れるようになっています。
新聞社のスポーツカメラマンと話したのですが、女性の新入社員のカメラマンが、1ヶ月程度でサッカーを撮って紙面に掲載される時代だそうです。たしかにあれは適切な機材とノウハウさえ判れば、そこそこのものは今ではすぐに撮れます。
動物写真もそうです。適切な機材と、適切な環境にさえ行ければ、あとは押すだけですので、1ヶ月もあればプロとほぼ変わらない写真が撮れます。
そんな時代に一生懸命プロと同じような機材に投資して、プロのような写真を撮ることを求めても、実はちっとも価値はありません。だって、そんな写真はちょっと教えれば誰でも撮れるようになるのですから。
では、どんなプロでも撮れない写真、どんなにプロが指導しても撮れるようにならない写真、それが何かというと「下手な写真」です。「下手」は「お上手」の反対語です。一度お上手に撮る癖がついてしまった人は、この「下手な写真」になかなか戻れないのです。
「下手な写真」を一番よく使った雑誌があります。
それは米国の写真雑誌LIFEです。National Geographicがどちらかというと「お上手な写真」を好むのにくらべ、LIFEはアマチュアだろうが、読者だろうが、本当に良い写真はどんどん掲載していました。本当に写真をわかっていた人たちが編集していたからです。
代表的な「下手な写真」がロバート・キャパの「倒れる兵士」です。私の天安門事件の写真もブレて、構図もあいまいで「下手な写真」です。でもLIFEはこういう写真が大好きで、ほんと良く評価してくれます。写真家が撮影時に感じた感情が現れているからです。
残念ながら今の一眼レフで「下手」な写真を撮るのは難しいです。「お上手な写真」を撮るのは簡単なのに、ブレたり、ボケたりしつつも、なぜか心を打つ、という写真にならないのです。「感情の表現」にも手ブレ補正が効いてしまうかのようです。
なので私は「下手な写真」が撮りたいのです。自分の感情を「お上手」な小手先の技術でごまかすのではなく、感情が見る人に伝わるような写真。そういう写真でないと、見る人の心を動かしません。子どもたちが「シマエナガちゃん」の本のページをめくってくれません。
先生の言うことをしっかり聞いて、カチンコチンになって弾く、お上手なバイエルのピアノよりも、音感のすぐれた盲目の子供が楽しみながら、自由に勝手に弾くピアノの方が、下手ですがはるかに心を打ちます。
写真もまったく同じです。心を打つ写真は、どこかに「下手さ」が残っています。その「下手さ」は実はすばらしく価値があって、もはや望んでも得ることができないものなのです。そしてそのような「下手な写真」には必ず「被写体への愛が溢れています」愛があるからこそ、お上手に撮って変えたくないのです。
でもこれを多くのレッスンプロの写真の先生は矯正してしまいます。ちょうどバイエルを教えるピアノの先生のように。そしてお上手にバイエルを弾く子どものようなカメラマンが増えていきます。
ライカM3 35mmF2で1/8sec F2解放 RHP2段増感で撮影したこの写真。今のデジタル一眼レフでは、こんなに下手に撮れないんだろうなあ。
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